スポンサーサイト *

一定期間更新がないため広告を表示しています

2007.10.21 Sunday /// - / -
スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ(まとめて色々part2) *
(ネタばれが生じる可能性があります。ご注意ください)









『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』
監督:三池崇史
出演:伊藤英明、佐藤浩市、伊勢谷友介、桃井かおり etc
http://django-movie.com/

源氏と平家の決戦、壇ノ浦の戦いから数百年。とある山村に言い伝えられるお宝を捜し求めてやってきた義経率いる源氏軍(白)と、清盛率いる平家軍(赤)は激しく対立。村人を巻き込んでの抗争を繰り広げていた。そこに素性の知れない凄腕のガンマンが流れ着く。彼は果たしてどちら側につくのか。邦画ながら全編英語という思い切った設定を、桃井かおり演じる雑貨屋を営む謎の女性・ルリ子や、香川照之演じる白と赤の間を渡り歩く二重人格の保安官など濃いキャラクター総動員で描く。

日経新聞では褒められ、朝日新聞では「生煮え」と評されたスキヤキ・ウエスタン。ストーリーについてはこれ以上説明を加えるのは馬鹿らしいので省く。まず、この映画がつくられたスタンスのほうを記しておきたい。ちょっと前の記事なのだが、あるHPでの三池監督へのインタビューだ(原文ママ)。

Q:『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』のアイデアは、どのようにして生まれたのでしょう?
 お茶飲み話の中からですね(笑)。プロデューサーから「どんなものだったら面白いと思うの?」って聞かれたんで、「ウエスタンとかいいんじゃないかな〜、スキヤキ・ウエスタン!」って……口から出まかせで(笑)。「……スキヤキ!? それはマカロニ系!?」ってプロデューサーものってきて……そんなやりとりから生まれたんです(笑)。要は、お茶を飲んでいて会話がなくなったんで、埋めるために答えてっていうのがきっかけですね(笑)。
Q:偶然の会話から生まれたストーリーだったんですか?
 今の日本映画のベースには、テレビでヒットしたとか、視聴率が20%を越えましたとか、ベストセラーとか、ネットで受けているとかが多いじゃないですか。この映画は、お茶を飲んでいて出てきたオリジナルなだけに、いろんなことから解放されてるわけですよね。守るべきものってあまりないんですよ。楽しんでやっているというか。ただ撮影はすんごい大変だったけど(笑)。

:

・・・緩い。緩くて、適当である。でも、こういう実験的な映画をこれだけ有名な(癖のある)キャストを使ってつくってしまったところがなんとなくうれしい。朝日新聞のコメントまんまみたいで複雑だが、このライターは意見が合う部分が多いひとだった。

彼は(彼女だったかもしれない)この映画の実験性を褒めつつ、"生煮え"である理由としてのひとつに「三池作品に特有の乾いた感触が失われている」というようなことをあげていた。彼の意味するところの"乾いた感触"がどういうイメージなのかはわからないが、私にとってのそれは『中国の鳥人』であり『DEAD OR ALIVE 犯罪者』(両方とも三池作品)だ。そしてこの2本の映画を、私はあまり好きではない。つまり三池らしさ=乾いた感触、だとすると、私は三池映画があまり好きでないということになる。うーん、そうかな。そうかも。

『DEAD OR ALIVE 犯罪者』のシリーズ第2作目(といっても話自体が繋がっているわけではない)『DEAD OR ALIVE 2 逃亡者』が公開されたとき、1作目のような衝撃を期待した観客はすっかり拍子抜けしたのだそうだ。きれいにまとまっていてつまらない、というのがある人の意見だった。私はその"つまらない"作品が大好きになり、三度ほどレンタルを繰り返したのちに、とうとうDVDを買ってしまった。今となっては思い出話になる。



さて、件のライターの意見をまとめると、この映画には「実験的で三池らしい」部分と「乾きが失われた三池らしくない」部分が存在することになる。三池らしくない三池の映画が好きな私はどうだったのかというと、丁度その中間に立ち尽くしている形だ。
英語台詞で突っ走る凄さも役者陣の怪演も楽しみつつ、どうしても最後のガンマンの台詞が余計すぎたように思えて仕方ないからである。正確にいうと、そのちょっと前。平八少年に対してのあれ。・・・単なる説教にしか聞こえないんだが。これは『黄泉がえり』のラストの主人公のモノローグに通じるものがある。乾いてない。湿り気が、ここでは余計だ。もったいない。

:

そうそう、英語台詞にした理由。

Q:なんで英語で撮ろうと思ったんですか?
A:「マカロニ・ウエスタンだからイタリア語でやろうとしたんだけど、“それって大変だろうな”と思って、じゃあ英語でって感じで」

・・・どこまで本気なんだろう。
三池監督のこういうところがやっぱり気になるのだった。
2007.10.21 Sunday /// comments(13) / -
『ミス・ポター』鑑賞(まとめて色々part1) *
気がついたらすっかり秋ですね。
ここしばらくの間にいくつか映画館へ足を運んだので、一本ずつ簡単に感想を。
(ネタばれが生じる可能性があります。ご注意ください)








『ミス・ポター』
監督:クリス・ヌーナン
出演:レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー、エミリー・ワトソン
http://www.excite.co.jp/cinema/miss-potter/

気分がたるっとしていて、なにも発展的な行動をとりたくなかった九月中旬のある日に地元近くの映画館で鑑賞。安全そうな映画だなという一点で選んだのだけれど(ただでさえよろよろしているので、重いストーリーや戦争が絡んでくる話は避けたかった)確かに安全安心、さらりと穏やかな作品だった。

ミス・ポターとは、映画のコピー通り"世界一有名なウサギ"ピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターのことである。舞台は1902年のイギリス。上流階級の女性が仕事を持つことなどまず考えられない時代だ。
彼女は自分が大好きな動物を主人公にした絵本を出版することを夢見て日々持ち込みに精を出すが、なかなか受け入れてもらえない。しかしとうとう出版を引き受ける会社が現れた。彼女の絵本を担当することになった青年・ノーマンはすっかりその世界観に惚れこみ、ふたりが熱心につくりあげた絵本は大ベストセラーとなる。

公式サイトでも匂わされていることなので書いてしまうと、このふたりは結ばれない。婚約中にノーマンが病気で命を落とすからだ。当然ポターはうちひしがれるが、だからといって彼女がその後も不幸な人生を送ったというわけではない。気分転換のためにひとり家を出た彼女は、幼少時に訪れた別荘地でかつての友人と再会し交流を深め、さらに絵本で得た印税の有効な使い道(売り出し中の土地を買収して農地を保護する)に気付いてふたたび日々を楽しむようになっていく。
彼女に訪れた不幸は、映画ではお決まりの展開ではあるが、リアルの実生活でも起こりうる範疇の不幸であるように思う。恋人がある日病気で死ぬ。衝撃的だった死はゆるゆるとかつての出来事になる。そして新しくまた出会いがある。
予告編で「恋と波乱に満ちた人生」と称される一生は、おとぎ話っぽい中に淡々とした日常を垣間見せながら、そのままさらりと終わる。
:
ちなみに、エンドロールで流れる歌がとてもいい。挿入歌としても使われている曲だが、映画では描かれないおばあちゃんになった彼女が口ずさんでいるような、切ないけど幸せな歌だ。公式サイトでちょっぴり視聴も可能。
2007.10.20 Saturday /// comments(0) / -
訃報 *
『善き人のためのソナタ』などで知られるウルリッヒ・ミューエ氏が亡くなった。
http://cinematoday.jp/page/N0011092
http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2259558/1889161
http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2259622/1900435 (動画)

前述の作品で彼を知ってまだ数ヶ月。
もう新作を楽しみに待つことができない。さみしい。
2007.07.27 Friday /// comments(0) / -
『魔笛』鑑賞 *
『魔笛』
監督:ケネス・ブラナー


オペラ『魔笛』の舞台を第一次世界大戦時の世界へと転じたミュージカル映画。オペラ本体の筋については、きっと親切に解説したサイトがほかにもたくさんあるのでそちらをどうぞ。
基本的な話の流れはオペラ版と同じといっていいだろう。音楽の良さは想像に難くない。カメラワークの意図はいまひとつわからなかったが(時折酔った)。
原作オペラでは、道に迷った王子タミーノが夜の女王に頼まれて悪人ザラストロの元へ攫われた娘を助けに行ったらザラストロ本人から「実は夜の女王こそが本当の悪人なのだ」という事実を聞かされてまたそれを信じ、立場を入れ替えて女王と対立。女王は最後雷に打たれて死ぬ。悪いのは結局夜の女王だったというとっても勧善懲悪な話である。だから反戦をメッセージとする映画に仕上げるのは難しかろうと思ったのだけど、みんな頑張っていた。
しかし夜の女王というキャラクターに関して説明不足の感が否めない。原作の夜の女王にも解釈は色々あって、悪人ではなくただ娘を案じる母親であり、ザラストロこそが素直で純朴に過ぎる王子タミーノを騙して女王を追い落とさせる本当の悪人であるともいわれる(私はこちらの方が妥当だと思うのだが、オペラは大体不条理なので突っ込むだけ無駄なのかもしれない)。
映画中で夜の女王とザラストロは以前、恋人同士であったことが仄めかされる。「ザラストロは私を否定した」という台詞もある。けれどこれだけでは"元恋人への復讐に取り付かれた女"の域を出ない。夜の女王が敵の指導者・トップとして描かれているから尚更だ。もっと悲哀や戦争の情けなさを利用した関係を創りあげてほしかった。そして、どうしても気になるのはザラストロの屋敷だ。完全には覚えていないが、"国のための死を"というような言葉が彫ってある。それを観てタミーノは、「なんと正しいことが書いてあるのだ、きっとここに住むものは悪人に違いない」などと言う。ここだけ抜き出すとブラックジョークで終わるのだが、最終的に正しいのは原作と同じくザラストロなのだ。・・・国のための死、なんて言葉を屋敷に彫り付けた男である。とんでもないではないか。
ただ、夜の女王と恋人だったということを考え合わせると、推測が浮かび上がってこなくもない。例えば『夜の女王とザラストロは以前この屋敷で共に暮らしていた。ある日、夜の女王が屋敷にその言葉を彫った。ザラストロがそれに異を唱え、ふたりは破局し、ザラストロは今でも文字を消さずに同じ場所に住み続けている』とか。それでもあくまで想像の範疇だ。
パンフレットには、"オペラ版魔笛では、パミーナは夜の女王とザラストロの娘であるという解釈もある。正直に言うと私たちもそれを直接的に示唆するシーンを撮影した。しかし最終的には、より観客の意思にゆだねる作品にしたかったため、サブリミナル的なものにとどめた"とある。そこまで描くと確かにやりすぎの感があるが、もうちょっと踏みこんでほしかった。

すばらしかったのは、ザラストロがみなを連れて向かう墓のシーンである。ひときわ大きな碑にはたくさんの人々の名前と享年が、それぞれの国の言葉で彫りこまれている。カメラが引くと、周囲を取り囲むどこまでも続く白い墓、ようやく終わりが見えたと思えばそこにはまだ増え続ける十字架・・・
あれを大画面で見られたというだけで、1800円の価値はあったと思う。
2007.07.14 Saturday /// comments(0) / -
『傷だらけの男たち』鑑賞 *
『傷だらけの男たち』
主演:トニー・レオン 金城 武
監督:アンドリュー・ラウ/アラン・マック

(ネタばれが生じる可能性があります。ご注意ください)





刑事ポンとその上司ヘイは、単なる仕事上の付き合いを超えた親友同士である。2003年のクリスマス、犯罪者の追跡・逮捕に成功して自宅に帰ったポンを迎えたのは変わり果てた妻の姿だった。彼女の死因は自殺。しかも腹には赤ん坊が宿っていた。ポンは警察を止めて無免許で私立探偵を名乗り、飲めない酒に溺れるようになる。一方ヘイは億万長者チャウの娘スクツァンと結婚、幸せな新婚生活を過ごしていた。しかしある晩チャウが自宅で惨殺死体となって発見される。それは一見、金目当ての強盗殺人と思われた。だが父の死に疑問を持ったスクツァンは捜査をポンに依頼。捜査を進めるうちにポンは、協力者であるヘイを疑い始める・・・・。
:
『インファナルアフェア』シリーズで日本でも広く知られるようになったアンドリュー・ラウ監督の新作。コロンボ式と呼ばれる方式で、視聴者にはすぐに犯人が誰だかわかるつくりになっている(たとえば古畑任三郎はこれを踏襲したドラマだった)。
主演二人の演技は最高にいい。当初は逆の配役を考えていたそうだが、断然こちらで正解だと思う。脇で登場するチャップマン・トゥもいい味を出している。相変わらず憎めない表情を見ることができて、個人的にうれしかった。
目新しさのないシンプルな話だけに主演ふたりの演技がひきたつ。多く使われるツーショットのシーンではポンとヘイの関係性をよく魅せている。特にトニー・レオンの今回の演技は秀逸。穏やかな上司の顔と、時折爆発する少年の顔が、けして過剰になることなくこちらに訴えてくるのにはたまらない心持ちになった。
そして「"現在"と"過去"」を交差させることにかけてはこの監督と脚本家タッグの右に出るものはいないと思う。ただ、公開前に「あくまでインファナルアフェアとは別物の話。比べないでみてほしい」と金城が言っていたのを考えると、それは必ずしもプラスの要素ではないのかもしれない。違う話であることは認めた上で、少なくとも私はインファナル〜三部作のラスト、『終局無間』を連想した。それを持ち味ととるかパターン化ととるかは視聴者次第だが、私個人の意見は"両方半々"。かつこのつくりを気に入っていたりする(義父の殺人で仏像の置物を使ったり(インファナル〜では仏教思想がモチーフとして出てくる)、失った名前の苗字が劉(インファナル〜におけるアンディ・ラウの役名)で現在の名前が陳(同じくトニー・レオンの役名)だったりするのはやっぱり遊びなんだろうか)。「傷だらけの男たち」を観て「インファナル〜」は未見という方がいたら、是非あわせてご覧ください。

ずいぶん褒めてしまったようだが、星をつけるとしたら三つ。どことなくすっきりしない理由はラスト三分にある。このまま終わっていくのかと思いきや、やけに明るいクリスマス・ソング。またクリスマスがやってきたことを匂わせるのが大事なのはわかるが・・・おかげで覚めてしまった。話と音楽を不協和音的に組み合わせる使い方はたまに見かけるけれど、今回はしっとりと終わってほしかった。どうやら音楽監督とはあまり気が合わないようである。
2007.07.09 Monday /// comments(0) / -
『赤貧、洗うがごとき』鑑賞 *
公式サイト:http://www.sekihin.net/

足尾銅山鉱毒事件で知られる田中正造の一生を通じた活動を描くドキュメンタリー。雰囲気としては、「NHKでゴールデンタイムを過ぎたころ、あるいは深夜に再放送している歴史番組を低予算で作ったらこうなるかもしれない」といった感じだ。
役者が田中正造を初め妻や秘書を演じる劇部分・イラスト・当時の映像(少)・当時の写真・関係者及び研究者へのインタビューを主として構成されている。役者が声を張り上げるシーンはやや過剰演技のように思えるが、鉱毒事件に対する作り手の真面目さは全編通してよくわかる。「完全な人じゃなかったけれども、本当に国民を、人間を裏切らない人」「責任感のとても強い人」というような言葉がインタビューで聞かれるがたしかにその通りだったのだろう。
正造の一生をかけた活動をできるだけ紹介しようとつとめているからだろうか、物語としては盛り上がりのポイントに欠ける作品になってしまっているのは残念だが、主人公の生き死ににとどまらず知識を得る部分は多い。一度は観ておいていいと思うので(とくに私のように、歴史は苦手だけれど映像としてならなんとか観られるという方にはおすすめする)会場がお近くの際はお出かけください。現在上映巡行中。

最後に、気になったことを。
ラスト近く正造が死の淵で「げんざいを救いたまえ、ありのままを救いたまえ」とうなされるのだが、映画内のコメントでもシナリオでも(購入できる。売り上げの一部は英語版製作の費用に当てられるという)"げんざい=現在"という解釈がなされていた。個人的な考えにすぎないが、これは"原罪"の意味により近かったのではないか。彼が明治35年に投獄された際に新約聖書に触れ、熟読していたというのは映画内でも解説されている。
「原罪を救いたまえ」――深読みかもしれないが、一緒に鑑賞した人たちの中に同じ意見の方がいたので(ちなみにキリスト教に明るい人である)こっそり提唱してみたい。
2007.07.07 Saturday /// comments(0) / -
『君にしか聞こえない』鑑賞 *
『君にしか聞こえない』
主演:成海璃子 小出恵介
監督:荻島達也

(ネタばれが生じる可能性があります。ご注意ください)





まったく情報を仕入れないで行ったら、いきなりファンタジー溢れる設定で驚いた。
主人公のリョウは過去の辛い経験から内気になり、友人や話し相手がいない生活をしていた。しかしたまたま拾ったおもちゃの携帯電話から鳴るはずのない着信を受けたことで彼女の世界は広がっていく。電話の主は自分を野崎シンヤと名乗り、リョウはとまどいながらも彼との会話を心地よく思うようになるが・・・というのが簡単なあらすじ。
このふたり、リョウとシンヤの間には一時間の時差がある。同じ速度で会話をしながらも、リョウ側の"今"は2007年7月7日七時であり、シンヤにとっての"今"は2007年7月7日八時である、ということだ。これとよく似た方法で時差を利用した映画がある。
『イルマーレ』(同名の韓国映画が"元祖"だが、ここではキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが主演したリメイク作品のほう)
男性が過去・女性が未来という形は同じで、こちらの時差は二年間。電話やテレパシーのかわりに文通で愛を深めていくあたりがレトロでかわいい。両方観ていただけるとわかると思うのだけれど、君にしか〜で遠距離デートと称し、テレパシーによるシンヤの案内でリョウが鎌倉を歩くシーンなどはイルマーレのそれにかなり似ている。
大人になってしまったふたりが主人公である「イルマーレ」と、大人になりつつあるふたりが主人公の「君にしか聞こえない」。近しい映画たちだが、私はどちらが好きかと聞かれたら前者と答える。「君にしか〜」はもどかしい若さがどことなくむずむずし、目を逸らしたくなるところが多々あるのだ。そこがいいところでもあるのだろうが、正直あのラストシーンの台詞は蛇足ではないだろうか。『黄泉がえり』もラストの独白さえなければ・・・と当時思ったものだった。説明してくれる親切は、時々うっとうしい。

人の死をきちんと描いているところには好感が持てる。脚本で一度死なせると決めたのなら容易に生き返らせることは禁じ手だ。禁じ手に踏み込んでしまった作品をあげると、近作では『ナルニア国物語』が最たる例だろう。鑑賞の際、終始心の中で突っ込みを入れまくっていたがラスト付近の展開には愕然とした。
映画に必ずしもリアリティーは必要ではないと思う。現実ではありえないストーリーを楽しめるのが映画の良さだ。けれどもしそれに生死を深く絡めようと考えるのなら、ささやかながら敬意のようなものを込めて、慎重になっていいのではないだろうか。
2007.07.06 Friday /// comments(0) / -